とらドラ! 第20話

大河も竜児がかけがえのない存在になっていることにキチンを向き合って、
そしてみのりんのことを考えて、竜児と距離をとる選択を決断、断行。
この辺、丁寧に描かれている。
大河は変に意識しすぎてフツウに話せなかった北村ともちゃんと会話できるように
なって、ここでも成長(というか『変化』かなぁ〜)が描かれる。
で、大河がみのりんに気をつかっていることはみのりんにはモロばれなわけで
こういうのやられると気を使われた本人にはイタイよなぁ。
「もうほっといて!!」「ヘンに気を回さないで!」「自分の本心通りにして!」
って言いたくなるよね、普通は。
この気の使い合いが神経戦のようになって現実にはツライはずなんだ。
この辺りが「大人」になりきれない思春期の「頭をフル回転して上手くやってるつもりで
カラ回って実は何もかも悪い方悪い方に向かってしまう」という典型。
ズバッっとやってズバッと解決しちゃえばいいのに。
相手の目をまっすぐにみて「本当の本当はどうなんだ?」と聞くだけなんだがなぁ。
これをやらないで何かが進展したり、何かが終ったりはしない。
「終わりが恐い」そりゃそうなんだけど、この学生時代がそのまま同じように続くことは
絶対にないので必ず変化が起こる。終わりは必ずくるので、そこを見据えて先に進むしかない。
「終わり」がないと「始まり」もない。
あと「1か0か」という発想も思春期特有だよなぁ〜。
自分さえ身を引けば万事解決、悲劇のヒロインを演じきると。
「大河とみのりんは親友」「竜児とみのりんが恋人になる」この2つと
「大河にとって竜児はかけがえのない友人」この関係性は絶対に両立し得ないことなのか?
ムリして竜児を遠ざけようとしてもやられた方はイタイので、
そこらをまとめてみんなが幸せになれる関係性はなんなのかを探っていくことが建設的であり
進展性のある考え方だと思うのだが、この時期はなかなかそう冷静にはなれんのだよ・・・
そういうのはコズルイ考え方みたいのもあるし。


なんかそういうのが歯がゆくて、でもそこがおもしろいという・・・
あとカギをにぎっているのはみのりんの家庭だな。
弟が高校球児でしかも甲子園常連校。嫉妬の対象だと言う。
でも一度も描写されたことがない。みのりんの両親も同様。
なにか「事情」を埋め込むとしたらここしかないように思うのだが・・・
いくらなんでもみのりんの態度は不自然すぎるよ。
「親友のかけがえのない存在を奪う」ことへの躊躇いだけだと、
この作品の場合底が浅すぎて逆にとっても不自然。
それぞれがみんな何がしかを抱えているのにみのりんだけ「ナイ」というのはね・・・
ここまで引っ張ったのだから当然強烈なモノが何かあるに違いないと。
多分、「自分はそういうのに値しないんだ・・・」的な何かじゃないかとにらんでいるのだが。
カラリとした性格に一見みえるのは、唯、自分を突き放してしまっているからではないかと。
竜児ママのあの変セリフはどう考えてもみのりんで、お水でバイトとかそういうのしか
考えられないんだけど、ハズレかなぁ!?