CLANNAD 劇場版

ねたバレを恐れ封印していた劇場版を見た。
TV アニメ版は前半だけだったのか・・・
演劇部の一人芝居、そして朋也くんの告白、で感動的!?な最終回じゃなかったんだ・・・
渚は潮を生んで死亡。朋也は壊れて古河家からもみんなからも
そして実の子の潮からも逃げる。
(うしおって「牛男」かと一瞬思ってハテナ???となったのは自分だけ!?)
その姿は現実から目をそむけ続けた朋也の父そのまんまだったのだ・・・
「大人になれ、朋也」
失った悲しみ痛みから目を背け現実逃避するのは「こども」という位置付けか。
朋也の父の段取りで団子大家族の旅行が計画される。
そして駅のホームで待っていたのは・・・
古河両親と渚と見まがうばかりの潮ちゃん!!
「お父さん」
と言ってかけよってくる潮。
そして転びそうになるのを朋也がキャッチ、そしてエンディング。


5年も会ってなくてお父さんと認識できるのはちょっとあり得んだろとは思うが
古河両親が事前に言い聞かせておいたのなら辻褄はあう。


随所に出崎節が目についたが、努力や根性とは対極のこういう作品だとちょっとアレだな。
3回パンとかやられても、正直そりゃどうよって感じで。
しかし全体のストーリーは駆け足感は否めないもののよかったんじゃないだろうか。
クラナドは人生だ、家族がテーマだとか言われていたのも納得できた。
ただこれってアニメでやる必然性って全然なくてむしろ実写でやった方が
説得力が出るんじゃなかろうか。
アニメ的な幻想的な部分はお互いに見ていた夢ぐらいで、
ここの演出はあんまりよくなかったと思う。
これは想像だが、別々の場所に独りっきりで生きていた二人が「約束の木」を介して出逢い
独生独死の孤独から開放される、という人生の縮図を表しているんじゃないかな。
だから朋也は渚の一人芝居で約束の木に渚をみつけ慶喜した、と。
この辺テキストをなぞるだけであまり感動的な演出ではなかったと感じた。
まあそれで人生の伴侶を見つけてもまだ人生半ば、というところが
クラナドは人生だ、と膾炙される所以か。


ともかくおおよその話は輪郭ぐらいかもしれんが掴めたと思う。
ゲームをやってないとこの辺が限界か。
京アニが続編作るかどうか、ちょっとわかんないなー。
でも続編部はエンターテインメントにはならんかもしれんよね、これ。




PS. 続編が決定したそうだ。さて、どういうものにするんだろう。